友ケ島 戦争の跡

友ケ島を語る上で忘れてはならないのが砲台や防空壕のあと
パンフレットではレトロと紹介されていますが戦争の遺品をレトロと表現していいものか・・・
確かに今のどかな時代に見るとレトロな建物で風情があるように見えますが当時ここにいた人はどれだけのご苦労をされていたのか・・・
昭和21年、島は日本陸軍の軍用地になり、砲台が築かれてからは由良要塞地帯として厳重な鉄のカーテンに包まれ、人々のまったく近づけない軍事上の秘境となりました。第二次世界大戦中は600人の兵隊が駐屯していたそうです。

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砲台のあとは戦後にアメリカ軍によって砕かれたので危険なため今も入ることは出来ません。

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紀淡海峡の淡路島に面したほうは大きな船が行き来します。(和歌山側はせまくて通れないそうです。)
そこを見張っていたわけですが実際には砲弾はぜんぜん当たらなかったそうな・・・・
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弾薬庫は今も残され、中に入って見学することが出来ます。

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中に入ると今までの暑さがうそのようにひんやりしています。
最近雨がよく降ったせいか地面はどろどろ
こんなところに弾薬をおいていてよくしけらなかったものです。

中は真っ暗でこうもりの住処となっています。
いくつもの部屋に分かれていてその一部屋一部屋がかなり広い。
先生が
「どれだけ暗いかを体験するために懐中電灯を消しましょう。」
と注意するが、6年生の男子たちがふざけて懐中電灯を交代でつけるため見ることが出来ない。
蛍のときにも懐中電灯をつけて遊んでいた子供たちだろう。
こういう時女子はきちんと言うことを聞くのに男ってこのころから・・・馬鹿
もしかしたら大きななりして暗闇が恐いのかもね。


暗闇で写真を撮ったら部屋全体を写したつもりが壁の一部・・・天井ばかりが写っていたのでやむなくカット

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こちらは兵隊さんの住居跡
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地位が上のほうの人はこういう住居で暮らせたのでしょうが600人もいたほかの人はこの小さい島の何処に?


今回は周りませんでしたがそのほかの施設としては「聴音所」跡
半地下式、二階建ての建造物で水中から進入する敵の潜水艦のスクリュー音をキャッチして攻撃するためのものでした。
人間が耳を澄まして音を拾っていたとは・・・一日中神経を集中させてじっと音を聞いていたのでしょうか。

ここには戦争を語り継ぐための貴重な資料が今も残っています。