友ケ島 地層

さて、早く友ケ島の記事を書かないと記憶が消えていく・・・

晴天の土曜日、小学校の行事で友ケ島行きの船着場に集合イメージ 4
そのとき別の一団に見るからにへんてこりんというかヒッピー(古い?)みたいな軍団が・・・いやだなぁ、あの人たちと一緒?と内心思いつつもその奇妙な風体にちらちらみてしまう。
どうもミュージシャンらしい。膨大な量のアンプやスピーカー、楽器などを島に運ぶようだ。
友ケ島で音楽イベントでもあるのだろうか・・・

船に乗る時間になり私たちが席についたあとでひと悶着が起こった。
船の乗組員がさきほどのヒッピーたちに

「あんたらこの荷物、先に積み込まんとあかんやないか。」

と怒鳴っている。

「でもあちらでは乗客が乗り込んでからつむようにといわれたので。」

と見かけによらず丁寧な返事。

「そんなんあかんで、人乗ったら積み込めやんか。」

人事ながら乗組員の物言いは偉そうで・・・最初に指示した人が悪いのだからこの青年たち(言葉遣いや態度でもう見る目が変わっている)に文句言っても仕方ないでしょう。
しかし青年たちは文句も言わずに荷物を積み込みだした。
ちゃら男くんみたいに見えるのに以外と力もあるらしい。
人は見かけで判断したらいけないなぁ・・・とつくづく思ったのでした(- -)



さて話が別のところに飛んでしまっていたので戻します。
友ケ島は和歌山市と淡路島の間の紀淡海峡に横たわっています。そのため昔から国を守る要所としての役割を果たしてきました。
が、そのことは後日触れるとして今回は地層について

友が島の地層は和泉山脈と同じ線上にあり、そのために和泉層群といいます。
和泉山脈上に我が家のあるひよこ家とは地続きなのですね。
和泉層群は今から7000年前にできました。
その地層が長い年月の大地の変化のために大きな断層が出来てくぎれいくつかの島になりました。

あまり人の手が入っていないために地層がそのまま見れるところがたくさんあります。

こちらは断層
砂岩と礫岩が微妙にずれているのが分かるでしょうか?

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しゅう曲(地層が曲がっているところ)

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低痕(地層の裏側に見られ、地層が出来たときの海底の様子が想像できます)

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これらの地層が散歩道沿いに普通に見られるんですよ。

また、ここの石はかつて和歌山城の石垣にも使われていました。今でも海岸には石を切り出そうとして途中で割れたために捨て置かれた加工途中の石を見ることが出来ます。