海辺を散策したら台風の爪痕がすごかった。
今回はこの赤線のところをぐるっと歩いてきました。
まずは観海閣
こちらから見るといつもの風景なのですが反対側に回ると
ら,欄干がなくなってる!?
三段橋
県内最古の石橋で、材料は不老橋同様和泉砂岩で構築されている。幾度か修復をしながらも400年あまりその原型を失わずに存在している。
不老橋は無事でした。左側の小さいのが塩釜神社です。
不老橋は、徳川家康を祀る紀州東照宮の和歌祭の際に、紀州徳川家や東照宮関係者の人々が、御旅所に向かうために通行した「御成道」に架橋したものである。
橋台のアーチ部分は肥後熊本の石工集団の施工であり、勾欄部分については湯浅の石屋忠兵衛の施工と推定されている。勾欄部分は雲を文様化したものが見られる。
江戸時代のアーチ型石橋は、九州地方以外では大変珍しく、特に勾欄部分の彫刻が優れている。 ウィキより
昔は山の上に建物があったようです。
玉津島一帯はまた玉出島ともいわれ、いにしえ島山が恰も玉のように海中に点在していたと想像され、かの山部赤人の長歌に、「神代より然ぞ貴き玉津島山」と詠まれた如く、風光明媚な神のおわすところとして崇められてきた。
きっとこの建物から景色を眺めたのでしょうね。
この山かな?
和歌山県公館も補修中のようです。
来月初めに公開されるので見に行くつもりだったのですが大丈夫でしょうか
古民家喫茶リェールも同様
こちらは天満宮
東照宮は木の陰になって屋根しか見えなかったです。
できた当初はにぎわっていましたが、もう半分くらいお店は閉じていました。
いつの間にか建てられていた金ぴかの大仏
朝日を拝んでいるのか
紀三井寺を拝んでいるのか
だれが何の目的で建てたのか不明
ただ毎日素晴らしい景色をご覧になっているでしょう。
海沿いにも遊歩道があるのですが、何かが積まれてどうも通行止めになっているようです。
私たちは坂道を上り、車が通行する道路を歩きます。
景色最高!!
漁港が見えます。
面白いお店を見つけました。
結構混んでいて、海側の席は満席みたいで
入ろうか入るまいか悩んでいる間に、娘はすたすた先に行ってしまって
写真に撮り忘れました。
外は全く普通のお店だったし…
鉄道ファンが集うお店らしいです。
スハネフ14-1
下へ降りる遊歩道もありますが草が生い茂って
しかも引っ付き虫とか多そうで
歩けそうにありません。
残念
絶景の宝庫、和歌の浦という看板
でも昔のような活気はなく、一時は廃墟?的な建物も多くなっていた。
今回歩いていたら昔の旅館は老人ホームになっていた。
老後を海を眺めて暮らすのっていいかもしれない。
このドアは開けたらびっくりだよね。
山の反対側に回ってくると景色は工業地帯です。
夏の花火が打ちあがるあたりです。
旦那とよく言った思い出の場所は悲しくなるので行けない病が続いていて
花火も見に行けなかったのですが
ここだとあまり着たことがない場所なので歩いて見に来るのにいいかも
向こうに養翠園の看板が見えます。
ぐるっと回って遠かった道もトンネルを抜けたらすぐです。
少し寄り道して御手洗池の中の橋を通ります。
明光通りのお気に入りのお菓子屋さん春栄堂によります。
ここではシューパリを買います。
レジのところにパン耳無料と書いてありました。
パン耳無料って都市伝説と思っていたら本当にあるんですね。
「少しわけてください。」
と言ったら
これでひとまとめになってます・・・と
3斤用の食パン袋にびっしりとあります。
当分パン耳生活?
パン粉作ろうかな。
帰りは適当に路地を通って
地元なのに見覚えのない建物を発見しました。
この辺りは雑賀周と織田信長が戦った戦場になった場所で
雑賀城跡もあるそうですが、全くそのようなものを見た覚えがありません。
子供のころ遊んだ場所なのに全く知らなかったです。
今日のコースでおよそ14000歩
途中写真を撮るだけでどこも見学せずに歩いたので約2時間半の散策です。
立ち寄るなら半日程度見ておけばいいと思います。
JR紀三井寺駅から歩くなら往復でプラス30~40分くらい見ればいいです。