ニートが素敵

ニートをいいと思ったことはなかったが、あるネットニュースを読んであぁ素敵と思った。
和歌山の山奥の特定非営利法人共生社では古民家「ひきこもり」にニートたちが住み、お金にとらわれない自由な生活を営んでいる。

必要以上に欲しがらない。
必要な分だけ働く
あとは自然の中で自由に生きる
これはソローの森の生活そのものではないか

でもそれ自体がいいと思ったわけではない。
素敵と思ったのは
この村は平均年齢が70歳、住人は8人だけの限界集落だったということだ。
高齢、少数で暮らす村人にとってニートとはいえ若い男手の参入はどれだけありがたいことか
お駄賃を上げてお手伝いをしてもらえる。
高齢者の運転云々言われる昨今だが、この村で車を運転せず生活できるのだろうか?病気になったとき病院に連れて行ってもらえる。買い出しに行ってもらえる。
それだけでも随分助かるだろう。

これが生活意欲満々の若者なら
かせげなくては生活できない。田舎など面白くない。と来てくれないだろう。
お金や物に執着のないひきこもりがちニートだからきてくれるんだ。
彼らの将来が心配といえば心配だが
頭と意欲があるニートならいずれはお金を稼ぐ方法を見つけて自活していくかも知れない。
とってもやる気のないゆるいブログだがやればお金を稼げる道があるようだ。
そして彼らは命を頂くことも知る。
鹿一頭罠で取れば8000円の報奨金がもらえるそうだ。
そしてその鹿を殺し、解体して食べる。
ニート、適当なんて言っていられない。かなり覚悟が要る。
畑もやっているようだし、ニートという言葉に違和感を感じる。
もう少し頑張れば農業として自立できるかも

厳しい就活等に失敗して一時的に心を病んだだけのニートなら人に必要とされる生活と豊かな自然で元気が出てまた社会にでていくかも知れない。
文才があれば「ニート、山奥で暮らす」なんて本を出版するかもしれない。
ニートが大きな納税者にに変貌する可能性だってあるんだ。
少なくとも都会でニートとしてひきこもって何もしないよりは本人にも受け入れ側にもずっと可能性が広がる。



ニートでなくても例えば創作活動をしている人に無料で家(廃校とか)を提供する。
ネット配信すれば不便なところでも作品は売れる。
芸術村ができれば観光客も来るかもしれない。
自活の道がない人には週に幾ばくかの労働をとりきめて、年金、健康保険と最低限の生活費くらい保証してあげてもいいかも知れない。
生活保護に税金を使うなら、限界集落で働いてもらう賃金に使ったほうがよっぽど有効だ。
限界集落に若い人の参入は希望の光となるだろう。
これは個人に任せず、地方自治体が取り組んでいかなければいけない課題だと思った。