匠の姿 衣 二玄社

黄楊櫛 竹内勉 屋号十三やの章 より抜粋


元文元年十三やがのれんを上げた。将軍吉宗の頃である。
店名の「十三や」は「九(く)と四(し)」を足したもの。江戸っ子の洒落っ気だ。櫛は「苦死」と当て字をしてどんな良いものでも拾った櫛は不吉だから絶対に使ってはいけないと言われたそうだ。「十三や」という店名も単なる江戸っ子の洒落っ気ではなく、「くしや」と発音することを嫌ったためという説もある。
「二十三や」は竹製の唐櫛を扱ったため唐(十)だけ多いのが店名の由来

京都の十三やは全く違うお店です。


十三やは江戸時代から変わらない櫛作りをしている。変わったのは材だ。江戸時代は江戸に最も近い産地の御蔵島産の黄楊を主な材料にしていた。今はそれに代わって鹿児島産の黄楊が使われる。黄楊の中でも鹿児島産は最上級のもの。かつては手に入れたくても入れられなかったもの。その意味では昔よりいい材料が使えるようになった。
薩摩黄柳の特徴は粘りにある。櫛作りは磨きが命歯の一枚一枚を磨き上げる際に歯と歯の間を6mmも開く同じ黄楊でも外国産は粘りにかけるためその途中で折れてしまう。必然的に磨きがおろそかになり髪を梳く櫛の通りが悪くなる。一方薩摩つげの櫛は歯と歯の間を存分に磨き上げる。長い髪が絡まっても2,3度通すうちに通りが良くなる。

なぜ外国産の黄楊ではダメなのか、なぜあんなに高価なさつまつげを欲しがるのか、こういう理由なんだ。
それに薩摩つげの櫛は汚れが落ちやすいけど,外国産はだんだん黒ずんでくる。という人もいます。
磨けていない部分に汚れがたまるのでしょうか
しかし上の理由だけなら細歯はともかく荒い櫛なら十分に隙間があるのでちゃんと磨けるはず。
試しに1cm13本歯を広げてみました。確かに歯先が6mm開きます。
お土産屋さんで売っていた本つげ(大昔に買って安かったので多分さつまつげでないと思う)1cm5本を広げてみます。あれ、こちらも6mm開きました。
試しに椿も広げてみました。1cm9本、1cm5本どちらも6mm開きました。
開くのって歯先のことだよね?まさか根元じゃないよね。怖くてそこまで試せない。ちょっと???になりました。


櫛にするつげ材は樹齢70から80のものが使われる。櫛にするには木肌の密な根元だけを使う。そこが十分な大きさになるまで人の一生分の年月を待たねばならないのだ。


竹内さんが修行を初めて3ヶ月は師匠の仕事を見るだけ
仕事を手伝わしてもらえるようになってやっとやらせてもらえたのが飯を練ったのり続飯(そくい)作りだった。磨きを手伝う許しをもらったのは随分経ってからだという。二十の磨き工程を身に付け、任せられると言われるまで十数年の年月を重ねた。


黄楊櫛ができるまで
黄楊材は櫛一本の厚さに木取りしたあと燻され、その後数年間も自然乾燥させる。
板伸ばし 堅いのに粘りのある黄楊は暴れやすい。それで加工する直前に木の裏同士を合わせて締め木で圧縮し日当たりの良いところで乾燥
丸鋸で歯引きする(唯一の機械工程。)
かんずりと呼ばれる金ヤスリで根元を磨く木賊で磨く。磨き工程は全て櫛の右側から順に行う。
型どり 背の部分の曲線を切りかんなで磨く仕上げ
(うずくり)鉄製のヤスリで磨き、かんなをかけ、水気を含ませた木賊で表面を磨く。これは体温で失った黄楊表面のツヤを取り戻すためさらに表面をうずくりというかやの束で磨き上げる。
鹿の角で磨く

十三やの櫛は店でしか売らない。遠路はるばる客は足を運ぶ「客と店主が出会うことに意味がある。」が商売人としての基本だ。


工程で言うと全工程手作りが廣島さん。
十三やさんは歯挽きのみが機械
でも研磨も機械というところがほとんどです。「歯と歯の間だけ職人が磨く」のでも手作りの櫛となってます。
また外国産の本つげを使っても日本で作れば国産黄楊の櫛となります。国産が櫛にかかるのですね。
なので国産の黄楊で出来ているものが欲しい時はきちんとさつまつげとか国産(九州産)の黄楊を使っています。と書かれているのを選んだほうがいいですね。

地方の私はよほどの機会がないと十三やの櫛をを見ることはできません。お店では職人さんが作業しているところも見れるとか
その分冷やかしでは入りにくいらしいです。
この記事を見て興味を持った方がいらっしゃいましたら上野近辺に行かれたときレポートしてくれたら嬉しいです。
また近くによのやさんもあるはずです。