紀州東照宮と和歌浦天満宮

この前の日曜日は紀州東照宮と和歌裏天満宮を訪ねました。
そこへ行く道は小学校への通学路でもあったところ。
和歌浦の市場を通っていきます。
車一台通れるかどうかの細い道
こんなに細かったっけ・・・こんなに近かったっけ・・・
ずいぶん変わったような気もします。
でも時代に取り残されたように昔のままの家も残っています。
日曜日でお休みの市場・・シンとしています。
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こちらは紀州東照宮・・・私の通った小学校はこのすぐ横にあります。
いわば裏の神社の感覚ですね。
といっても階段がきついのでそう遊びに行ったりはしませんでしたが。
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祭神
徳川家康徳川頼宣南海道の総鎮護として紀州藩祖の徳川頼宣公(家康の第十子)元和七年(1621)に創建、徳川頼宣自ら陣頭指揮をとって久能山を模して造営。東国随一の名称として継承されている。

権現造りの社殿は創建当時のものであり、「本殿」「拝殿」「楼門」「回廊」「唐門」「瑞垣」「石の間」の七棟いずれも国指定重要文化財。
明治六年に県社列格。大正六年(1917)に旧県社の「南竜神社」<祭神:徳川頼宣公>を合祀している。
参道をすぎ108段の「侍坂」を登りつめた楼門から振り返ると、和歌浦の海が一望できる。


少し奥に入るとこじんまりとした和歌浦天満宮があります。
こちらはひっそりとして、あまり訪ねる人もいないようです。
派手に有料駐車場を整備している東照宮とは対照的に無料でもほとんど車も止まっていませんでした。
にぎわうのは受験シーズンと書初めのときくらいでしょうか・・・・
入り口にはへんちくりんな人形やオブジェが置いてあり、計画性もなく植えられたような草花、なんとなく住んでいる人の生活臭まで漂って哀愁を誘います・・・私たちに同情される神社って一体・・・

それでも受験祈願の絵馬はたくさん並んでいて、知り合いの名前も見つかりました。
絵馬を眺めているのも結構楽しいものです。
中には○○校高入学祈願というのもありました。彼女はちゃんと高校に入れたのでしょうか・・・つい心配になりました。

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紀州東照宮の西方。雑賀山の中腹に鎮座。延喜元年に菅原道真太宰府に左遷される際に、風波をさけて和歌浦に立ち寄った。
その後、康保年間(964-968)に橘直幹が太宰府からの帰路に当地に立ち寄って道真を追想して社殿を建立したことにはじまるという。
天正十三年の兵火によって焼失するも、慶長十一年(1606)に浅野幸長によって再興。
元和七年に東照宮が建立されると、当社は地主神として崇敬され、当社神主の安田氏が東照宮神主を兼務。
受験シーズンともなると、合格祈願者で賑わう。
急な石段を上り詰めると、楼門(重要文化財)と桃山風の華麗な本殿(重要文化財)がある。